なにかと共有、共有という。
情報共有、共有財産、夫婦のスケジュール共有、場の共有、、、ありすぎて書ききれないが、いろいろな共有が存在している。近頃は流行り言葉なのか、どんどん新しく共有するものも増えている。なんでも共有という言葉に背負わせているが、それぞれで少し違うというか、違和感があると思った。
丨共有の範囲
よくわからないので気になった。共有もたくさんあるので量と質が伴うというか、自分の中でまだうまく整理出来ていないが、分かち合う量とその結果で意味合いが違うのでは。
と思い調べた。自分もよく使う言葉なので、今後は相手にもきちんと意味を伝えていこうと思う。これがすべて正しいとも思わないが、現状自分が調べて一番わかりやすかったので以下、Wikiを引用。
広義の共有は狭義の共有と区別するため共同所有とも呼ばれる。多数人が共同して一つの物を所有する関係を共同所有関係という[1]。共同所有には、団体主義的な色彩が強いものから個人主義的な色彩が強いものまでさまざま存在する。ドイツ法の影響の下、講学上は以下の三類型に分類される。
・総有(Gesamteigentum)
もっとも団体主義的な色彩が強い類型。個々の共有者の持分の大きさは観念できないため、利用方法の決定には、持分権を有する者全員の合意が必要となる。権利能力なき社団における共同所有形態はこれであるとされる。民法上の組合が、構成員全員の黙認のもと、個々の共有者の持分の大きさを観念せずに運用されるに至った場合(慣習的に社団化した場合)、結果的に持分権者全員の合意が必要となり、総有となる。各人の持分権の大きさを観念しえないため、単独の構成員による持分の処分(売却など)や分割請求は不可能である。総有関係を解消し合有や共有へ移行するためには、構成員全員の合意が必要である。
・合有 (Gesamthandseigentum)
総有と共有(狭義)との中間的な類型。個々の共有者の持分は観念できるものの、分割請求などは大きく制約される。共同信託や組合がこれである。夫婦間の財産関係(264条参照)については争いがある。利用方法の決定には、持分権における過半数の合意が必要となる。
・共有(狭義の共有、Miteigentum)
もっとも個人主義的な色彩が強い類型。個々の共有者の持分は具体的に観念され、分割請求なども自由になしうる。
出典元:共有−Wikipedia
そもそも広義の共有と狭義の共有という言葉が日本にはあって、Wikiに記載のある狭義の共有は持分と独立性の強い観念、一方で広義の共有は共同所有という観念で上記3種という具合だった。
自分が感じていた違和感はこの広義の観念だったのかもしれない。
丨分かち合うこと
一言に分かち合うと言っても、観念が違うとうまくいかない。お互いの認識がズレたままの共有は共有ではない。意外と日本の世の中は排他的な部分が強いなあ感じる。共有の裏側にいる感じだ。自分が生まれた場所だからか、イギリスの考え方に共感することが多い。すぐ建物や地面の話になってしまうが、地面の話。
イギリスの土地は基本的にすべて王室所有にある。その上で日本で言う所有権と定期借地権の2種がある。王室が所有しているものの上で権利を持つということがここでは重要と思う。自分が持っている権利だけど最終的には王室のもの。王室のものの上で生活している。「stop温暖化、みんなの地球」的に感じる。それは団体主義的な観念が強く、個人的解釈だが、ぼくはこれは総有の観念と思っている。
土地を所有したら高さや法規、用途を守っていればどんなデザインの建物ができてもいいという日本とは大きく違う。建築申請の内容がまるで違うのが要因。ヨーロッパの街並みを見て、高さや色、デザインなど統制されていていいなあと思ったりするのはこの建築申請フィルターのおかげらしい。一方日本は「自分の土地なんだからすきにさせい」が強い印象。それでも土地や建物の所有権の中にも、経路によっては一応共有の観念は入っていたりする。共同購入という経路を辿るマンションの管理組合などはそこに入ると思っている。狭い共有と排他的所有が混ざり合っている状態。この話に自分でも結論はないが、これは土地に限った話では無いと思う。
だが、総有の観念をもっと持ちたいし、持ってほしい。視野は広く、視点はなるべく高くいたい。
一言に共有と言っても階層と観念があって、使い方と伝え方を変えないと、認識のズレは日本と海外の街並みくらい変わるのかもしれない。何を分かち合うことが大切なのが見極め、それをより大勢と同じ思いを持った上で、共有することができる人になりたいなと思った。
