2017年に友人と韓国へ行ったときに食卓文化の違いから思ったこと。
丨日本
・お盆という食文化
・一人前という考え方
・残すと「もったいない」

丨韓国
・副菜の多さ
・大勢での食事
・みんなの食べ物

丨配置による所有意識の変化
日本:お盆に乗せて配膳すると、枠・領域ができ、自然と一人前という意識が生まれる。潜在的な意識である「もったいない」もあるため、一人前はきちんと残さず(大切に)食べる。特にお盆に乗っている場合、同じ卓上で食べ物の共有はあまりしない。
韓国:個人でメインを注文するが、副菜が先に置かれ、それを複数人で共有する。自然と食卓ベース(テーブル主体)に意識が変わるので、置かれるものは「みんなの食べ物」になる。食べ物を共有することで味の話などから会話も弾むし楽しい。一方でメインの食べ物(上だとわかめスープ)以外の副菜は自分の食べ物という意識が低くなっている分、残すことが多く韓国では問題になっているらしい。
配膳方法だけで所有と共有の意識が大きく異なる。とても興味深い体験だった。
おそらく建築にも言えることで、学生の頃に設計課題でよく使った「見えそうで見えない」などという曖昧な距離感と意識の具現化を身近にできている例だと思った。
少し逸れるが、最近は年齢的に結婚式が多い。思うと自分の出た結婚式では、披露宴の食事をシェアする人はあまりいない(ほぼ洋装)。あれはテーブルの真ん中にお花があり、両肩の延長線にナイフフォークがあって自然とお盆のそれと似た領域が生まれていて、かつ一品ずつの配膳で「あなた用の食事」と言われないけど、思うのかもしれない。海外の披露宴文化はどうなんだろう。ちなみにネパールではたまたまかもしれないがブッフェスタイルだった。式の進行とも大きく関係しているとは思うが。
丨領域と心地の良さを考える
心地よい領域とはどんなところなのか。例えばキャンプ場の場合、タープ・テント・車など物理的な「壁」なしで緩やかに空間を仕切れているが、あれにはとても心地よさを感じる。キャンプ場という場所が物理的に大変心地よいのは間違いないが、あの仮設な物たちを置きだした瞬間、家に近い心地よい場所となる。
自分の中では韓国の体験はそれと似たように感じた。あれくらい心地よかった。
住宅需要も同じように思う。先の食事を例えるならマンションが日本式、シェアハウスが韓国式のようなイメージ。シェアハウスに住んでいる人は大きな共有スペースと自分の部屋をそれぞれを使い、楽しいと言う。今、時代のニーズがあり、求められているのはシェアハウス発想で、その理由もあの食事を通して再度わかったような気がした。
個の所有意識が強い上の世代は「仲間」、「会社」など組織の括りや集団の中での自分のポジショニングが居心地の良いところであり、拠り所になっていた。
一方で、今の自分たちはどうか。自分の社会でのポジションなどは気にしない者が多い。また領域よりも日常的な快適性や楽しさが心地の良さと直結している。割と自分は自分で、自分を持っている人同士で混ざり合うことをとても好む。世代でも意識は異なり、これから住宅需要のある我々若い世代には長らく言われるLDKという考え方は本当に違うのかもしれない。
韓国での食事は行為が楽しく、仲も深まり、何より食事という行為自体が気持ちが良かった。(食事自体が美味しいということもあるが)UXデザイナーという職業がいま重要な職である。韓国での食事で、何かを通じた体験の気持ちよさや心地よさはとても重要で、それぞれにあったものを考えることが大切であると当たり前だが再認識した。
その上で考えたいのはやはり領域、境界線。
住宅や家具、日常のツールや公共空間、サービスへ昇華させたいテーマ。